社会医療法人恵愛会 大分中村病院

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看護部のご紹介

看護局長 挨拶

市民から信頼され、
愛される病院づくりに努めて

大分中村病院創業 50 年の歴史ある病院です。
現在は社会医療法人として市民から信頼を得、愛される病院づくりに努めています。
そして看護師たちも歴史ある病院で働く事を誇りにしています。
しかし時代の変化に対応していく努力をしていかねばなりません。
救急から社会復帰までの一貫したシームレスな医療提供で看護が担うべき役割を明確にしながら、 看護の質向上に関わる人材育成に力を入れています。
救急や急性期を担う看護師として、高度な医療に対応できるよう教育を行っています。
また高齢化社会に対応するために「その人らしく暮らせる場所」を考慮したケアも他職種と取り組んでいます。
看護師の働く環境づくりも重要です。ワーク ・ ライフ ・ バランスを保ちながら、 持てる力を発揮できるように短時間正職員制度も導入しています。
管理者として、 看護職員一人ひとりを大切にしながら、 専門職としての成長を支援すること、 そして患者さんから親しみ、愛される看護の提供ができるよう努力していきたいと思います。

社会医療法人恵愛会 大分中村病院
看護局長
大塚 三千代

理念・基本姿勢

看護部理念

やさしさに満ちた、心通いあう看護実践

基本姿勢

個別性を重視した看護実践を目指します
根拠に基づいた安全な看護を提供します
地域と連動した看護を推進します
人間性豊かで誠実な看護師を育成します
他職種と協働し患者中心のチーム医療を目指します

当院の特徴

今も生きる創業者の「志」

今も生きる創業者の「志」

大分中村病院の創業者 中村 裕 ( 医学博士 ) は、 「障害者スポーツの父」と称され、国内外のアスリートに今もなお、親しまれています。
中村 裕は、 生涯を賭けた障害者の自立 ・ 地位向上を通じて、 「救急医療からリハビリテーション、 更には社会復帰」の役割を担う病院が必要と考え、大分中村病院を設立しました。
この中村 裕が掲げた理念は、 1984 年に急逝し、30 年が経過した今でも、病院が持つ信念として、大分中村病院を支えています。

パラリンピック車いすマラソンへの取り組み

パラリンピック
車いすマラソンへの取り組み

創業者中村裕は、 昭和 39 年東京パラリンピックに日本選手団長として参加しています。
この時、外国選手が職場から参加したのに対し、日本選手の殆どは入院中の患者でした。
この“違い”に衝撃を受けたことが、障害者の働く場「太陽の家」設立の契機となりました。
また、この時抱いた『患者の社会復帰にはリハビリテーションを積極的に行う病院が必要である』との考えから大分中村病院を創設しました。
当院では、 創業者中村裕の意志を継ぎ、 障害者福祉、 障害者スポーツ等に、力を入れています。

パラリンピック・アジアパラ競技大会への医師・看護師派遣実績

1995年 北京フェスピック大会
医師(チームドクター)1名 派遣
1999年 バンコクフェスピック大会
医師(チームドクター)1名、
看護師2名 派遣
2000年 シドニーパラリンピック
医師(チームドクター)1名、
看護師2名 派遣
2002年 釜山フェスピック大会
医師(チームドクター)1名、
看護師1名 派遣
2003年 香港ユースフェスピック大会
医師(チームドクター)1名 派遣
2003年 クライストチャーチパラリンピックプレ
看護師1名 派遣
2004年 アテネパラリンピック
医師(チームドクター)1名、
看護師1名 派遣
2006年 クアランプールフェスピック大会
看護師1名 派遣
2008年 北京パラリンピック
看護師1名 派遣
2009年 東京アジアユースパラゲームズ
医師(チームドクター)1名、
看護師1名 派遣
2010年 広州アジアパラ競技大会
看護師2名 派遣
2012年 ロンドンパラリンピック
看護師1名 派遣
2014年 仁川アジアパラ競技大会
看護師1名 派遣
2016年 リオパラリンピック
看護師1名 派遣
2017年 ドバイ アジアユースパラ競技大会
看護師1名 派遣