社会医療法人恵愛会 大分中村病院
理事長 中村 太郎
大分中村病院は、 1964 年の東京パラリンピックの日本選手団長を務め、 社会福祉法人 太陽の家を創設した中村裕により、 55 床の整形外科単科病院として、1966 年に現在地に開院しました。
高度成長期で交通事故や労災が頻発するなか、脳神経外科、外科、形成外科、麻酔科などを加え、外傷を中心とした 24 時間 365 日救急医療に重点を置いてきました。一方でリハビリテーションにも力を入れ、 救急から社会復帰までの一貫したシームレスな医療を提供してきました。
90 年代に入り、高齢化社会を迎えると、「医療による社会貢献」を理念に掲げ、循環器内科、消化器内科、 呼吸器内科、 腎臓内科(透析)、 糖尿病内科と内科系の充実を図りました。現在は許可病床 260床、 27 診療科の総合病院となりました。約 500 名のスタッフが多職種協働のもと、 救急、 総合診療(年間救急搬送数 2,000 台弱)を入り口に、専門性の高い医療へ繋ぎ、 リハビリテーションまで、大分市中心部において、質の高い医療を提供しています。
当院は、これからも真の市民のための病院を目指し、高度な標準化された医療を提供し、しかし、決して権威的にならず、 市民と伴走する医療を提供していきます。
外傷を中心とした二次救急医療とリハビリテーションを二本柱にし、地域包括ケアシステムのハブの役割を担うを目標にした新病院(旧大分西鉄グランドホテル跡地:舞鶴町1丁目)は、2024年1月オープンを目標に建設中です。
『障がい者スポーツの父』と称され、障がい者の自立のための施設『太陽の家』を創設し、大分国際車いすマラソン大会の生みの親でもある、故・中村裕博士の長男。また病院長(現理事長)の傍らフェスピック大会(現アジアパラリンピック大会)や、シドニーパラリンピック、アテネパラリンピックのチームドクター、東京パラリンピックでは開会式の聖火リレーランナーおよびバドミントンAthlete Medical Supervisorを務めた。現在もパラスポーツを通して、健常者と同じクオリティ・オブ・ライフ(QOL)の提供とサポートを目指している。