昭和27年九州大学医学専門部卒業。当時日本では未開の分野であった医学的リハビリテーションの研究に着手。昭和35年「リハビリテーション-医学的更生指導と理学療法」発刊。 同年、英国ストーク・マンデビル病院国立脊髄損傷センターに留学。ルードヴィッヒ・グッドマン博士に出会い、生涯に関わる多大な影響を受けることになりました。
昭和39年東京パラリンピックに日本選手団長として参加。この時、外国選手が職場から参加したのに対し、日本選手の殆どは入院中の患者でした。この“違い”に衝撃を受けたことが、障がい者の働く場「太陽の家」設立の契機となりました。また、この時抱いた『患者の社会復帰にはリハビリテーションを積極的に行う病院が必要である』との考えから大分中村病院を創設しました。
1984年(昭和59年)7月、中村裕は57歳で急逝しましたが、創設の志「救急医療からリハビリテーション、更に社会復帰」が当院から滅することはありません。
現在、大分中村病院は「救急医療からリハビリテーション、更に社会復帰」を継承しつつ、時代のニーズをキャッチし、救命・治療・QOLに全力を投じ、地域に密着した中核病院として地域医療に貢献しています。
その一方で、中村裕の信念を引き継ぐ2法人、「大分中村病院」⇔「社会福祉法人 太陽の家」の連携による最善の福祉事業の構築を目指しています。高齢化が加速する21世紀に対応し、障がい者支援と同じように高齢者支援も視野に入れたネットワークの実現に取り組みます。
社会福祉法人 太陽の家
中村 裕について、より詳しい情報はWEBサイトをご参照ください。