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フェスピックに参加して
障害者スポーツとの関わりを深めていきたい/藤尾素子(東3病棟看護師)


 2006年11月25日〜12月1日まで、マレーシアのクアラルンプールにてアジア・南太平洋地域の障害者スポーツ大会『フェスピック クアラルンプール大会』が開催され、日本選手団の医療班として工藤看護師と共に参加させていただきました。
 9回目となるクアラルンプール大会は、アジアパラリンピック評議会とフェスピック連盟が合併する関係で「フェスピック」の名称を冠する最後の大会となりました。
 今回の日本選手団は選手、コーチ、役員などを含め、合計262名で構成され、国際大会での参加選手数は、前回の釜山大会の138名を上回る過去最高のものとなりました。

 11月21日、成田と関西空港発組に分かれて壮行会が開催され、渡航説明会では医療班として連絡事項の説明担当となり、緊張と不安からのスタートとなりました。
 翌日13時発の便で出発。8時間50分のフライトにもかかわらず全員元気にクアラルンプールに到着しました。クアラルンプール市内および近郊4宿泊施設に競技団体毎に別れ、私は今回から初めてフェスピックの種目になったセーリングチームの総務兼医務班として、総務兼通訳の富永三恵さんとご一緒に担当しました。

 同じ大分県の須藤正和監督(ヨットエイド九州)、東京都の高間信行コーチ、2名の選手と共に、タクシーで市内から1時間半離れたビーチに位置するリゾートホテルへ向かい、チェックインしたのが深夜2時半でした。
 4階のコンドミニアム式の部屋が用意されており、3名が車いす使用者であるため入り口には手作りのスローブが配置されていましたが、1階までの移動はエレベーターとなり、災害時の非難方法に不安を感じました。また4名宿泊するのにベッドがふたつ(マレーシア人は男性どうしでもひとつのベッドで寝るとの事!)。急遽、マットレスをふたつ用意してもらい寝床を確保するなど、風習の違いに戸惑い、部屋に落ち着いたのは朝方でした。
 翌日、シャトルバスで5分の競技会場に行き、出場登録やクラス分けにも同行でき、良い経験になりました。競技会場内にメディカルルームが設置されており、地元マレーシアの病院と連携をとるシステムとなっていました。

 25日、開会式がクアラルンプールフットボールスタジアムで行われました。マレーシアのローカル色豊な民族衣装を纏ったアトラクションに囲まれ、とても華やかな式でした。
 日本選手団と一緒に入場行進をさせていただき、体中に熱いものを感じました。

 綺麗な芝生の上からスタンドを見上げると赤い垂れ幕に日本の文字が目に入りました。『頑張れ 太陽の仲間たち』。太陽の家からの応援団でした。選手ではない私でも感動と共に人の温かさを感じました。開会式中、暑さのために脱水症状を起こした選手もいましたが、一時的で軽快され安心しました。

 26日より競技開始。
 熱帯雨林気候に属しているマレーシアでは、11月でも最高気温が31度、最低気温でも23度という常夏の気候。季節は雨季でスコールと呼ばれるにわか雨が降り、セーリング競技には天候との戦いでもあったのではないかと思いました。
 気候も食事も違う為、熱中症、脱水症、消化器・風邪症状に気をつけサポートしていく必要があることを念頭におきました。
 セーリングは4日間レースを行い総合で順位が決まるということもあり最後まで選手は体調管理はもちろんのこと精神的にもサポートが必要であると思いました。3日目に選手が下痢をしているという事で日本医療メンバーの医師に連絡し整腸剤を処方しました。準備されていた薬剤の中にもカフェインを多く含むものもあり、ドーピングの関係もある為、簡単には処方できず細心の注意が必要である事も再認識できました。選手は内服薬のみで治癒され安心しました。
 競技が開始になりインターネットも普及され、日本選手団の活躍を毎日確認し就寝しました。

 29日レース終了。
 最終結果は7か国中、5位でした。最後までレースに参加され、本当にお疲れ様でしたという思いでした。
 翌日、出場国選手たちと共に、アスリートツアーで近くの観光地を回りました。夕方からは『Closing Dinner and Prizing Ceremony』が開催され、宿泊ホテルのプールサイドに綺麗な表彰台など等が準備されていましたが、スコールのため、急遽、レストランで行われました。温かい空間の中での表彰式が行われ、みんなで受賞者を讃えました。勝者がいれば敗者もいるのが戦いの世界。メダルは3個でしたが、出場した選手全員がメダリストではないかと感じました。そこにいた全ての人たちが笑顔でした。今回、セーリングに出場された他の国の選手たちとも交流を持てたことを本当に感謝します。語学力があればもっとよかったのですが…。

 12月1日朝、クアラルンプール市内へタクシー3台で移動しました。
セーリング競技会場のポートディクソンは周りに何もない所でしたが、青い海に白い砂浜の美しい場所でした。マッラカ海峡の夕日、月の光が海辺に輝き、素晴らしく綺麗で目に焼きついています。現地の大会スタッフ、ボランティアの方々も温かく、感謝しお別れしました。
 夕方から降り出したスコールが上り、閉会式が始まりました。開会式とはまた違う感動がそこにはありました。
 1975年の第1回大分大会から各フェスピック大会の映像が会場内の大画面に映し出されました。歴史を感じると共に、改めてフェスピックの提唱者である故・中村 裕医師の偉大さを実感しました。
 2010年に『第10回アジア・パラリンピック大会』が行われる広州の市長さんに、APC旗が手渡された同時に花火が上り、夜空にたくさんの赤いハートが輝き、新しい時代の始まりを感じました。国の垣根を越え、ピンバッチ交換や写真を撮りあう選手たちを見ながら、「障がい者相互の理解と友情を深める」というフェスピックの精神が、今後も受け継がれていくことを願いました。

 12月2日、ホテル日航クアラルンプールにて日本選手団解団式が行われ、成田組と別れ帰国。3日朝、無事に関西空港到着し、それぞれが帰郷していきました。
 水や食事による下痢や腹痛、風邪など比較的軽い症状のみで、大きな病気やケガをすることなく無事に勤め上げることができ、医療班として安堵しました。

 振り返ると、選手の活躍をしっかりバックアップできていたのかどうか不安があります。逆に私自身が選手たちからいろんな事を教えていただいたと思います。今回、分散し宿泊したため、多くの日本選手たちとの交流、競技場に足を運び声援することができず残念でありましたが、今後、もっと障害者スポーツを勉強し、関わりを深めていきたいと思います。

 今回、このような貴重な経験をさせていただき、中村太郎院長を始め、財団法人日本障害者スポーツ協会の方々、選手、役員の方々に深く感謝致します。そして、またお会いできることを楽しみにしております。
2006年12月20日(水) No.410 (障害者スポーツ::フェスピックレポート)

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