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10月1日アテネパラリンピックより帰国しました


 3週間という長期にわたって病院を留守にし、院長として、また診療スタッフの一員として、患者さま、病院スタッフ、関連業者の皆さまにも多大なご迷惑をおかけいたしました。
 パラリンピックでは当院からの山田みゆき、後藤のりこ両看護師とともに、選手・役員の診療やドーピング・コントロールに全力を尽くしました。閉会式で聖火の消える中、メインスタジアムの観客に向かい両手を振って挨拶をした時は、ドーピングも問題なく、途中医務室で治療を行った選手も数多くメダルを獲るなど、好成績を修め、その任は果たせたのではないかと本当にほっとしました。

チームドクターとしてパラリンピックに参加した中村太郎院長
廣道純選手(左)と一緒に
(右)中村太郎院長
(中央)山田みゆき看護師
競泳7冠を達成した
成田真由美選手(左)と一緒に
 選手村での3週間を通して感じたことが2つあります。第一は、コミュニケーション(挨拶や礼儀)の大切さです。普段は全く異なる生活をしている選手、役員合わせて約300名が選手村内で「日本選手団」として行動をともにしているのですから、顔を合わせば「おはようございます」「お疲れ様です」の挨拶が大切になります。礼儀に関していえば、医療班で治療を受けた選手やコーチは、競技終了後には、メダルを持つなどして結果を報告に来てくれましたし、試合のない他の競技団体から応援を受けた競技団体もお礼をきちんとしていました。
 次に競技レベルが高くなる一方で、選手は、パラリンピックでの成績に賭け、ものすごい練習をして望んでいることです。陸上を例にとるとパラリンピックで入賞するには、日本の大学選手権で入賞するくらいのレベルが必要になります。盲人マラソンで優勝した高橋勇市さんは2時間38分の記録を持ち、来年の別大毎日マラソンの出場資格を得たそうです(アテネでは、スタート直前にTUEの許可を得た注射を打つということもありましたが、結果は金メダルという嬉しいものでした)。だれもが「だれにも負けないくらい練習したので負けるはずがない」と口にしていました。

 帰国したら暑かった大分にも秋風が吹いていました。10月末からは院長就任後初の大規模増改築が始まります。本日よりまた、診療の第一線に立ちます。今月もどうぞよろしくお願い申し上げます。
(院長 中村太郎)

2004年10月04日(月) No.184 (院長コラム)

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