大分中村病院   RETUNEHOME

大分中村病院の最新の情報や話題をいち早くお伝えするページです。

吹く風がここちよい五月になりました


 さて、4月29日のみどりの日に福岡市博物館へ「井深大と本田宗一郎展」を見に家族で出かけました。入り口には本田さんがこだわった空冷のホンダ1300とソニーの初のテープレコーダーが展示され、車やバイク、ラジオ、テレビ、ウオークマンなど想像を超える数の展示で多くの見学者でにぎわっていました。
 実は私はこの戦後の日本を代表するお二人、特に井深さんとは生前とても親しくさせていただきました。井深さんと最初にお会いしたのは小学校4年生でした。ソニー専用の小型ジエットで大分空港に来られた井深さんは、そのまま種子島空港まで連れていってくれました。展示会にもあった電子ブロック(トランジスタやコンデンサーなどの組み合わせでラジオになったりマイクになったりする)をお土産にいただき、それでよく遊んだり、ソニー製のテープレコーダーで当時消えつつあったSLの走行音を録音し、井深さんに聞いてもらったりしました。中学生の頃には井深さんのご長女で知的障害のあった方が一年間ほど我が家の一員に加わり、毎日食事をともにし、夏休みには一緒にキャンプに行ったりしました。父の葬儀、法事などにも欠かさず出席してくださり、父の死後、医師になってからは、当時東洋医学に傾倒されていた井深さんは、大学院で分子レベルの研究をしていた駆け出しの研究者の私相手に品川本社の会長室で、熱心に脈派などの素晴らしさを語ってくれました。
 妻と婚約が決まった1994年の暮、最初にご報告にうかがったのも井深さんでした。当時ご病気で体調を崩されていましたが、秋山ちえこ先生にご一緒していただき、三田のマンションを訪問しました。長男ご夫婦の案内で、入った寝室のベッドの上で点滴を打たれていましたが、しっかりと手を握ってくれました。その春に私たちは英国へ留学し、井深さんの訃報を聞いたのはロンドンでした。
 本田宗一郎さんとお会いしたのは、父の死後、葬儀や法事などが最初です。「お父さんはお父さんで、自分のやりたいことをやりなさい」といったことをいつもおっしゃっていました。
 この展示会を見て、お二人の思い出と素晴らしさとともに感じたのは「人(組織)は思った以上のものには、決してなれない」「組織はトップの器以上のものには絶対ならない」ということです。1940年代、ホンダも浜松でオートバイの修理をしていた頃から、ソニーは東京通信工業と名乗り、電気釜まで作っていた頃から、常に世界を視野に入れていました。その20年後、誰が世界のソニー、世界のホンダになると想像できたでしょうか?ただ、井深大さん、本田宗一郎さんとも、本気で世界を目指していました。
 私たちは、本気で「地域オンリーワン」「グローバルスタンダード」を目指していきます。目指さない限りは、決してなれないからです。それには、目標から逆算して、今すべきことをしないといけません。輝かしい未来には、輝かしい過去が必要で、それが今だからです。

(広報情報課)
2004年05月01日(土) No.135 (院長コラム)

No. PASS

Powerd by shiromuku(fs6)DIARY version 1.81

サイトマップ推奨環境免責事項個人情報

社会医療法人恵愛会 大分中村病院
〒870-0022 大分県大分市大手町3丁目2番43号
TEL:097-536-5050 FAX:097-573-8030
http://nakamura-hosp.or.jp/

Copyright 2004 Oita nakamura hospital. All rights reserved.