社会医療法人恵愛会 大分中村病院
看護部長 岐部 千鶴
当院は、市内中心部に位置し、二次救急医療を担いつつ、創業者 中村裕先生の遺志を継ぎ、リハビリテーションを中心に地域包括ケア病棟・回復期リハビリテーション病棟をもつ「ケアミックス型病院」として、市民の方々の健康回復・維持・増進に役立つ医療の提供という役割を果たしてきました。
看護部は、病院理念である「医療による社会貢献」を受けて、「患者さんが『その人らしく生きる』を支えるやさしさと根拠に基づいた看護を実践します」を看護部理念としています。
基本方針として、患者さん一人ひとりを大切にした看護実践、根拠に基づいた安全な看護、地域に貢献する看護、倫理観豊かで誠実な看護師の育成、多職種と協働した患者中心のチーム医療を掲げています。
看護体制は、プリセプターシップ体制を導入しています。新人看護師は指導者と共に患者さんのケアを行うことで、安心、安全な看護を提供します。
また、ケアミックス型病院として、リハビリテーションを中心に患者さんの入院から退院、そして在宅復帰までのプロセスを、看護師・セラピスト・MSWなどの多職種と協働するチーム医療を展開しています。
看護部の教育理念は、患者さん一人ひとりを大切にし、倫理観豊かで誠実な看護師を育てるために、「専門職業人としての臨床実践能力や倫理観を持ち、質の高い看護ケアを提供できる自律した看護師を育成します」としました。
26診療科を持つ当院では、様々な疾患を学ぶことができ、クリニカルラダーに基づいたキャリア支援の仕組みを活用しながら、根拠に基づいた看護実践能力を持つジェネラリストが育成できると思っています。また、継続して働くことで看護の専門性を発展させ、キャリアアップを図るスペシャリストも育成できると考えます。何よりも、高齢化社会を迎えた現在において、地域に密着したケアミックス型病院である当院は、チーム医療における看護の役割を認識し実感する機会が多く、時代の変化に対応できる自律した看護師の育成ができると考えています。
当院は、創設から50年という長い歴史の中で、子育て支援・介護支援体制も充実しており、子育てや介護をしながら働き続ける看護師も多く、お互い協力して支え合う風土が醸成されています。
新たに看護の仕事に就かれた方も、生活とのバランスを図りながらも看護の仕事を続けたい方も、選んで良かったという職場になるように取り組んでいます。
患者さんが「その人らしく生きる」を
支えるやさしさと根拠に基づいた看護を実践します
個別性を重視した看護実践を目指します
根拠に基づいた安全な看護を提供します
地域に貢献する看護を提供します
倫理観豊かで誠実な看護師を育成します
他職種と協働し患者中心のチーム医療を目指します
大分中村病院の創業者 中村 裕 ( 医学博士 ) は、 「障害者スポーツの父」と称され、国内外のアスリートに今もなお、親しまれています。
中村 裕は、 生涯を賭けた障害者の自立 ・ 地位向上を通じて、 「救急医療からリハビリテーション、 更には社会復帰」の役割を担う病院が必要と考え、大分中村病院を設立しました。
この中村 裕が掲げた理念は、 1984 年に急逝し、30 年が経過した今でも、病院が持つ信念として、大分中村病院を支えています。
創業者中村裕は、 昭和 39 年東京パラリンピックに日本選手団長として参加しています。
この時、外国選手が職場から参加したのに対し、日本選手の殆どは入院中の患者でした。
この“違い”に衝撃を受けたことが、障害者の働く場「太陽の家」設立の契機となりました。
また、この時抱いた『患者の社会復帰にはリハビリテーションを積極的に行う病院が必要である』との考えから大分中村病院を創設しました。
当院では、 創業者中村裕の意志を継ぎ、 障害者福祉、 障害者スポーツ等に、力を入れています。